2018年1月にスタートしたバイオグラフィーワーカー養成コース12期も、5月から第2モジュールに入りました。第1モジュールでは、0歳~7歳、7歳~14歳というように、1つの七年期ごとに場面を追っていきましたが、第2モジュールでは、鏡映関係や変容~それまでの点と点だった場面を、合わせ鏡の基点を変えたり、人生の経糸だけではなく横糸と交差させたりしてつないでいきます。さて、そこにはいったい何が見えてくるのでしょうか。
音楽でもそうですが、音と音のつながりから、メロディーやリズム、タクトが生まれ、インターバルによって陰影や色合いが現れてきます。私たちの人生も同じ。点と点だけでは、その出来事の意味合いを見つけることは難しいのです。ある程度、時を経ないと物事の本質は姿を現してくれません。つまり、人生を生きることによって、それまで見えなかったものが、見えてくるということです。
須賀敦子さんの代表作『コルシア書店の仲間たち』の冒頭におかれた、ウンベルト・サバの詩、「ミラノ」
・・・・・
石と霧のあいだで、ぼくは
休日を愉しむ。大聖堂の
広場に憩う。星の
かわりに
夜ごと、ことばに灯がともる。
人生ほど、
生きる疲れを癒してくれるものは、ない。
・・・・・
この詩をはじめて知った時、最後の一節に
あっと声を上げそうになりました。
どんなことがあっても、生きなくてはならないのか。
また、同時に、節の区切り方、
改行に違和感を覚えました。
なぜ、普通に
石と霧のあいだで、
僕は休日を愉しむ。
大聖堂の広場に憩う。
星のかわりに・・・ではないのでしょう。
書かれているとおりに、声に出して読んでみます。
そして気づくのです。
これは、天と地とのあいだを映しているのだと。
だから、この不思議な区切り方が必要だということが。
過去に起こった出来事は、記憶の中に実在していますが
出来事と出来事をつなぐ糸は、実際には見えません。
そして見えないものを見るためには、
結構な力がいることなんだと思います。
6月はバッチフラワーの企画が続きますが
7月はなぜかオイリュトミー月刊となりました。
「見えるうた、見えることば」といわれるオイリュトミーへ
皆さま、どうぞ足をお運びください。一緒に動きましょう。
7/12(木)
ピーチ洋子音楽オイリュトミー
7/26(木)
マーレン・ストットオイリュトミーワークショップ
※名古屋で残念ながら舞台「天の川をこえて」は上演されませんが
一般向けのワークショップとデモンストレーションが開催されます。
7/28.29(土日) 横山守文オイリュトミー集中講座
夏至が近づいてきて、日の出日の入りの位置が
かなり北寄りになってきました。
当たり前のことですが、ちょっと前までは
南寄りの東の窓から朝日を眺め、
南寄りの西の空に夕陽が沈んでいたのに
季節は明らかに夏へ向かっています。
皆さま、御身お大切に。
お目にかかれる時を楽しみにしています。
中村かをる